それが空手で、今年で五十歳だとしても

この前、はてブで「今日が残りの人生で一番若い日」と書いたら、お星を沢山もらってしまった。
うれしいけど、ちょっと意外だった。
こんなの当たり前のことだと思っていたし、ずっとそういうつもりで生きている。
だからアホなのかもしれないけど。


世の中、若いうちにやった方が良いことが沢山ある。
スポーツとか語学なら特にそうだし、もしかして大概のことが若いうちの方が良いかもしれない。
でも、だからこそ、「もう若くもないしなぁ」とかグダグダやってるのが一番ムダだ。
もうこれから先の人生で、今より若い時なんて一度もないんだし。
迷っているうちにも一秒ずつジジババになっていく。
若い方が良いことがあるなら、今やるのが一番良いと思う。
「もう少し若ければ」とか言い訳ばっかりしてるようなことは、どうせ若くたってやってないだろう。
本当は大してやりたくもないんだ。
まぁやりたくないならやらなきゃいいんだけど、それなら「やりたくないからやらない」と素直に言う方がいいと思う。
わたしもオリンピックとか目指したくないから目指さない。
そうじゃない、というなら、今やんなきゃダメだ。
それが空手で、今年で五十歳だとしても、今すぐこの場で拳立てから始めるんや!


遅すぎる、なんてものは人生にはない。
他人から見てどうだかは知らない。
でも「遅すぎた」ってのは、もう終わった時に言う言葉だ。
空手でチャンピオンになれなかった、というのは、いつから言えるのか。
チャンピオンになるのを諦めた時だ。
それまでは、チャンピオンじゃなくたって、「まだ」チャンピオンじゃないだけだ。
自分で勝手に諦めて、「終わった」と思わなければ、「遅すぎた」なんて他人事みたいに言える瞬間はやって来ない。
できるとかできないなんてのは神様がお決めになることなんだから、差し出がましく自分で言うことじゃない。
もっと神様を信じろよ、うんこやろう!
いや、別にチャンピオンとか大げさな話じゃなくて、やりたい範囲でやったらいいんじゃないかな。
一番になれなくても意味はあると思うし。
やらない人より、やってビリだった人の方がカッコイイと思うし。


終わった時に言う言葉は、終わってから言えばいいから、今言うことじゃない。
今やるのは、拳立てだ。