大義のない喧嘩をせんように用心しなアカン

「殺すつもりはなかった」 線路突き落とし 同僚の男2人逮捕 - MSN産経ニュース
こういうニュースって時々見る。
なんかしょうもないことで言い争いになって、殺しかけたとか殺しちゃったとか、そういう事件。
こういうニュースを見たら、大抵は「わけの分からんことで因縁つけられんようにしな」と注意するんだろうし、わたしもそれは怖いけれど、それ以上に、自分が因縁つける側、「加害者」になってしまわないか、それが怖い。
別に「被害者」に悪いとか気の毒とか、そんなんじゃない。そんな優しくない。単に自分が恐ろしい目にあうのが怖いだけだ。
喧嘩なんて大抵はつまらないキッカケで起こるものだし、肩が当たった当たらないがエスカレートして、もののはずみで殺してしまうことだってあるかもしれない。
この事件の「加害者」とか、実際殺すまでいっちゃった事件を起こした人たちも、ちょっと経って冷静になってからめちゃくちゃ怖くなって、ブルブル震えてお布団に潜ってたんじゃないかと思う。
そういうことってある。誰にだってあり得ると思う。
わたしは特に気が短いし、人をシバくことをずっと稽古してきたりしたから、もののはずみで手が出てもおかしくない。
いや、本当に必要な時なら手が出てもいいし、むしろ出た方がいい。ハッキリ言って殺してもいいと思ってる。殺す気でいかないとダメだ。
大義があるなら、自分が正義と信じるもののためなら、むしろ気がついた時には五六発打っているくらいが良いと思っている。そうなれるようにずっと練習している。
でもそれは大義がある場合だ。
もちろん、大義があろうが何だろうが、打てば社会的制裁を受けるだろうし、警察に捕まるかもしれない。というか多分捕まる。
でもそれはそれで構わない。大義があるならば。後悔はない。
問題は、大義もないのに打っちゃう時だ。
それは絶対アカン。
シャレにならん。
肩があたったとかヘッドホンの音が大きいとか、そんなことで間違って人を殺したりしちゃったら、誰にも言い訳できないし、神様に申し開きできない。
それは困る。
だからホンマ、気をつけないといけないと思う。


ついこの間も、駅で思い切りバーンとオッサンに当たられて、ブチイィィッ!といきそうになった。
オッサンの背中速攻で蹴って、線路との隙間にでも落としてやれば、殺せたかもしれない。
でもどこをどう考えても、殺すほどの話じゃない。
いくらウチの命が安いといっても、ちょっとそこにはかけられない。
幸い、最近は歳のせいか少しだけキレにくくなって、深呼吸したら「まぁ今日のところは勘弁しといたるわボケ」という気持ちになれた。
それから音楽聞いて五分くらいしたらすっかり忘れてた。
そんなもんだ。
そんなもんでも、多分殺そうと思えば殺せる。
何が分かれ道になるか分かったもんじゃない。
ホンマ用心しなアカンと思う。